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学生時代もそうだった気がする。

翌日が課題のプレゼンでテンパっている時に限って、変に凝った料理を作りたくなったり(別に食べる為ではなく作りたいだけ)、昔の写真を引っ張りだして意味もなく長時間眺めたり(一人で過去に想いを馳せている振りをする)、大々的な部屋の模様替えをしてみたり(ソファやテレビの位置を変えるだけではなく、時には本棚に入っている本を片っ端から並べ替えたりする)。或は、髪の色を自分で変えてみたり(髪の色にあう一人ファションショー、メイクアップは必須)。夜中に突発的に発作する事が多く、それは所謂現実逃避で翌日に痛い目見るのを承知の上で逃避する(否、承知しているという認識すらなかった気がしないでもない)。そしてわたしは直面している危機が大きければ大きい程、遠くに、遠くに逃避するとこに専念するのだ。

現実逃避と言うものは甘美なもので、一度そちらへと向かってしまうと歯止めが利かない。わたしのような意志薄弱、刹那主義者、どうにかなるさ的考えの持ち主は、直面する苦しい現実に対して背を向け一気にそこから走り出し、ランナーズハイで気持ちよくなっているのをいいことに、置き去りにした現実が脳裏を横切るのを軽く無視して走り続けるのだ。立ち止まって後戻りをすればまだ間に合う。一度無視した現実に頭を下げて、もう一度やり直すからがんばろう、って一声かければ現実だってわたしに加担してくれるかもしれない。ほらほら、いいかげん目を覚ましなさい。そんな声が、グラスに入った炭酸抜けかけソーダ水の表面でプチッと弾ける気泡のように時々聞こえるのだけれど、その微かな囁きに聞く耳を持たず、もしくはもうそれはフラットになってしまっているのだから今のは幻聴だ、と勝手に決めつけて全神経を無価値な行為に捧げる。そしてよりその行為に専念する事で現実逃避が醸し出す甘美さは甘みを増すのだ。

こうして今も言葉を捏ね繰り回して現実逃避の遠飛行。ああ、こんな時に限って書き留めておきたい事が溢れ出るのに。。。いかんいかんいかん。学生時代とは違うのだ。オフィスに居る限りわたしの時間はわたしだけのものではないんだ。名残惜しいけどダッシュで戻らないと、お給料がもらえなくなってしまう。

じゃあさようなら。