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哲学講義1:プラトン ( B.C. 427 ~ B.C. 347 )
ASEAN & カフェ on 6 Ave.

プラトンソクラテスを師とする。ソクラテス自身は書物等を一切残さなかったが、プラトンによる対話形式の本の中で、彼はソクラテスの名を使用し、その思想を引き継ぐ形で哲学を展開した。

ソクラテスの哲学は、疑問を投げかけるところから始まる。会話を通じて回答を導きだそうと試みるうち、自然とその疑問自体の姿が明確になってゆく。ここで大切なのは質問に対する答えだけではなくそこに辿り着くに至ったプロセスの重要さを自覚する事である。回答そのものは道路標識のような物であり、一つ目の標識に行き着いたところで満足せずに思考と探求を繰り返し行う事に意義があるのである。

中期、プラトンは主にイデア論を展開する。洞窟に住まう住人は壁の内側でそこからは姿の見えない外を行き交うものを焚き火の火が壁に投影する影によって察知する。この時、洞窟内の住人は外を行き交うものではなく影のみしか見る事ができない。イデアの世界とは洞窟の外の世界であり、わたしたちのこの物質世界は壁に投影された影の世界なのである。例えば、あなたが完璧な円を描くとする。然しこの物質世界ではそれは決して完璧にはなり得ない。それはイデアからの投影であり、その円の真実で完璧な姿はイデアの世界にのみ存在するのである。

イデアの概念に関連して、言語学者チョムスキーは人間には産まれる以前から言語をコンセプトとして取り扱う能力が備わっているのではないかと主張した。例えば、檸檬がある。それを青く塗ったとしてもそれはまだ檸檬である。ミキサーにかけてもまだ檸檬である。砂糖と水を加えてレモネードにしてもそこにはまだ檸檬がある。わたしたちはどのようにして檸檬という概念を作り上げるのだろうか。目には見えない概念と本質的姿、物質ではなく意識で成り立つイデアの世界とチョムスキーの言語に対する主張はインターネットのようである。

数字と数学についてプラトンは、数の概念は抽象的で且つ物事を完璧に表現できる唯一のものであることを主張した。例えば、何らかの幾何学的図形を手で描くとする。然しそれは不完全な図形であり、完璧な図形は数字によってのみ表現可能なのである。

プラトンは著書、「国家」の中で人間は理性を持った知識人、哲学者を目指さなければならないと説く。そしてそれらの者が社会を導いていくべきだと主張した。

ネオプラトニズムについて。プラトンイデア界(魂、永遠の世界)と物質界(現在、身体的世界)の二つの世界からなるこの概念を神と結びつけて考えてはいなかった。ネオプラトニズムイデア界と神を結びつけ、元々のプラトンによるイデア界の概念とはかけ離れた宗教的考えを持ち込んだ。

第一回目の哲学講義(ニーチェ会は随分前にあったけど)。わたしは個人的には現代思想の方がわくわくするのだけれど、基本から学ぶべきだということで第一回目はプラトンにつてでした。何が凄いって、この人が残した哲学的質問の答えを現代のわたしたちはまだ探し求めているということです。真実とは何か、美とは何か、正義とは。。。プラトンが哲学の始まりであり、哲学という学問の基盤はプラトンによってつくられました。とても革命的。

ある時代の哲学者につて学ぼうとする時、その時代の背景も考慮に入れなければなりません。イデア論を現代に持ち込んでそれのみを議論することは未熟であると思うし、総体的に関連性のある事柄をふまえたほうがより実りのある思考を望めると思いました。あと、イデア論で注意したいのは、イデアの世界は真実の完璧な世界であるけれども必ずしも理想や良い世界ということではない、という点です。直ぐ混合しそうになるので注意。

今回の講義で学んだ一番重要なことは、プロセスは答えを見つけることと同じくらい重要だということです。そして生活、生きることは哲学である、ということです。

学ぶことが多過ぎて表面的な事柄をまず把握しなければならないので深く掘り下げるまでにはなかなかなりませんが、尊敬とアイに満ちた小さな講義をもうけることができて嬉しく思います。Ran & Yuko ありがとう。今週は「ソクラテスの弁明」と時間があったら「国家」も読んで来週に備えます。